「みなさん、さようなら」の声が6年3組の教室に響き渡ったのが、一時間前。
いわゆる放課後の時間帯なのだが、ちえりはまだ自分の席に座っていた。見ればスポーツ刈りの男性教諭と対峙している。
ちなみに佐藤塩太郎教諭のもみあげは、きっちり耳の前で斜めにカットされていて炭酸水のようにシュワっと爽やかだ。黒縁メガネは彼のフェイバリット・アイテムであり、フレームは特殊な加工がされていてレンズコミコミで五千円くらいの安物とは格が違うのだ。
その担任のもと、ちえりは忘れた宿題を居残りでやらされていた。さすがに教室は閑散(かんさん)としていて、クラスメイトは他に誰もいない。
「ちえりちゃん、この分だとあと十五分くらいだね。それじゃ先生、ちょっと玄関行って来るね」
赤いGショックの腕時計を覗(のぞ)きながら担任はそう、ちえりに告げる。
「だれかくるの?」
「そ。転入生だよ。手続きとか、いろいろとゴタゴタしてるから、すぐには転入しないけどね。なんでもフランスに住んでたんだってさ。短期間みたいだけど」
「フランスじん!?」
「いや、日本の女の子だよ。まあ、近いうちに転入してくるから、お楽しみに! んじゃ、ちゃんとやるんだよ」
そういって佐藤塩太郎は、ちえりを教室に残し、出て行った。
「あ! ちえり、ぬいぐるみと遊ぶ約束してんだった! 早く宿題やらなきゃ、なのです!」
ちえりは思い出し、彼女なりのスピードで漢字の書き取りをはじめた。
「と、ゆーことでおくれちゃった。ゴメンね」
ちえりがそう語りかけた視線の先、屋根付きの家の形をした二階建て滑り台内蔵遊具の上には、しゃべるぬいぐるみ、ぱれっとが鎮座していた。
ここは、公園。初夏だから、4時近くなっても日はなかなか傾かない。公園といっても、ボール遊びができるほどの大きさはない。真ん中には屋根付きの可愛い家のような作りの遊具があり、階段を上がり二階部分に設置された螺旋状(らせんじょう)のミニ滑り台から降りてくる、低年齢層むけのものがひとつ。
それ以外には敷地内の端っこに公園を横断する長いうんていや、猫の額ほどのと言うか、実質猫のトイレ用の砂場があるくらいだ。うんていが目立つため、俗称として「うんてい公園」と言うイージーなパブリックネームがシェアされていた。
目立ちそうなぱれっとだが、この公園はマンションの裏にあるし、彼自身は遠目にはぬいぐるみにしか 見えないし、タイミング良く遊具で遊ぶ子どもがおらず、結果オーライだった。
「大丈夫なのれす。こっちもこっちで、いろいろと調べていたのれす」
そういって首からぶら下げていた丸いアクセサリーの蓋を開きながら、なにやらピコピコといじっている。
「ちえりさんに、このさくら色の色彩元珠(パステルオーブ)を渡しておきまつ」
ぱれっとは先ほど変身のときに使用した、半透明のさくら色の球をちえりに授けた。
「! さっき変身したときのやつだ! これ、ちえりにくれんの?」
そういってちえりは早速色彩元珠(パステルオーブ)をぶつように、パシンと衝撃を与えた。色彩元珠(パステルオーブ)は瞬く間にステッキの形状になる。
「あ、ちえりさん、むやみやたらに変身しないでくだたいっ…て、あああ」
ぱれっとが止めるまもなく、ちえりは面白がってパステルガァル!に変身をしてしまった。変身バンクどころではない。
「すごい、また変身できた!」
ちえりはパステルガァル!うんぬんよりも、変身できることに大変魅力を感じているようであった。やはりまだ、着替えが一瞬でできる事と勘違いしているのか。
「そういえばちえり、さっき黒いオッサン倒したもんねー! ちえりは強かったよね」
「…黒いオッサンはクロコといいまつ…」
などと、いっこうに話が進まずに、やいのやいのちえりとぱれっとで揉めていると、急に辺りがトーンダウンするかのように暗くなった。
「!」
ぱれっとが小さく唸り、反応した。
「ウフフフフ…あなたがさくら色のパステルガァル!ね…!」
頭上から、女性の声がした。
緑色の、葉っぱのような翼のようなものがはえた黒いレオタード姿の女性が空中から降りて来た。
髪は長く、同じく緑色をしている。耳の形状はおとぎ話に出てくる妖精のように横に長く、先端は尖っていた。見た目、成人した女性のようだ。そして、その目はぞっとするほど冷ややかに、ぱれっとと変身したちえりを見つめていた。
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