01-01 通学時の違和感

 今年はまだ、気象庁(きしょうちょう)から梅雨明(つゆあ)けの発表はされていない。

 それなのに、太陽はこちらの言い分を聞き入れる気配がまるでなかった。つまり、朝から暑いのだ。まだ梅雨の時期なのに。

 

 日差しは肌を刺し、ぬるりとした湿気がまとわりつく。化粧水などで肌をケアせずとも、十分な保湿効果が期待できると、母親世代は思ってしまうかもしれない。

「うわぁ、最高気温32℃だって。水筒忘れないでよね」

 そしてその母親のほとんどが、この台詞(せりふ)を我が子に投げかけたであろう。

 確かに、我が子が熱中症になったらたまらない。毎年死者も出ている。

 朝、7時50分。

 タンタンと言う音と共に、女子児童が階段から駆け下りて来た。

 彼女は階段を数段飛ばして地面にジャンプした。ジャッと言う砂利(じゃり)に着地する音が(ひび)く。

 全体が明るい黄色で塗装(とそう)された、可愛(かわい)らしいアパート。女子児童、(はなぶさ)ちえりは、この2階建てのアパートの2階に居住(きょじゅう)している。

 やはり彼女もご多分にもれず、親から同じ事を言われたのか、しっかりと水筒を下げていた。

 ちえりは身長が低く、小学校6年生なのにいつも2~3年生に間違われるほど小柄(こがら)だった。髪は頭の左右に束ねて、両側からポニーテールのように(た)らす、ふたつ(ゆ)いスタイル。(ぞく)に言うツインテールだ。

 若干(じゃっかん)黒目(くろめが)ちで(ひとみ)の奥まで(す)んでいるような印象を受ける。体型はダンスを習っていて普段(ふだん)から体を動かしているせいか細身だ。

 黒地のタンクトップの上に、ダボッとした淡いピンク色のドルマン風シャツを重ね着していた。シャツは透けるほど薄いため、重ね着の暑苦しさはなく、かえって爽やかな「(りょう)」を感じさせる。

 またデニムのショートパンツは、ダメージ加工された鮮やかな空色で、こちらも涼しげだった。

 (はなぶさ)ちえりは、そのような出立ちで走って5秒の通学班の集合場所へ(か)けって行く。

 通学班は通学時のみのコミュニティで、縦一列になって小学校まで(は)(さん)じる。なんでも少子化のせいにする政治家のようだが、彼女の通学班も4名程度で小学校1年生から6年生まで(そろ)っていなかった。そのわりに6年生はふたりいるので、彼女は副班長と言う役職で通学班の最後尾を厳護(げんご)していた。

 集まった児童たちは通学路を歩き出す。日差しは暑いが、とりあえず初めは日陰にありつける。道路(わき)が寺の敷地のため木々が生い茂り、通学路に日陰を作ってくれるためだ。

 ただ梅雨が明けるとセミの大合唱が始まり、(はなぶさ)ちえりは玄関先でよく無慈悲(むじひ)にセミに攻撃された。床に張り付いるセミはジジジ、ブルルルと無駄に振動するし、あたるとカタい。そこまで痛くはないが、地中深く10年以上も(もぐ)っていた積年(せきねん)の恨みをはらすかのように、彼女に恐怖を植え付けた。

 また彼女が幼少の頃、同級生の男子がプレゼントしたいと捕まえたセミを、ドアポストに大量に投げ込んで部屋の中がちょっとした絶叫(ぜっきょう)と惨事になったと言うエピソードは、次の機会があればそこで語りたいと思う。

 実はこの時、ちえりの雰囲気がいつもと違った。

 通学班の人間は、そのことに薄々気づいていた。彼女が通学班の最後尾にいて、あまり視界の中に入らないのにも関わらず。当事者の彼女自身ですら、自身の違和(いわかん)をぬぐい去れなかった。

 いつもと、何かが、ちがう。

 「まるで、天使になった感覚」だと。

 気のせいではない。身軽なのだ。体が軽い。その不思議な感覚がなんなのか答えがわからぬまま、学校の近くまで来てしまった。

 ちえりは同じクラスの羽田(はた)つぐみを見つけると、元気いっぱいに朝の挨拶(あいさつ)をした。

「つぐみちゃん、おはよう~!」

「おはよう、ちえり」

 羽田(はた)つぐみの身長は、ちえりよりも頭半分大きい。彼女も細身で、世話好きだ。髪型はショートボブで光に当たると栗色になる。心許ないちえりの保護者役でもあった。

「つぐみちゃん、今日は中学生みたいだね」

 ちえりの台詞(せりふ)には若干の通解と言うか通訳が必要だ。つぐみの服装は、一見すると中高生が着ているようなセーラー服に似ていた。しかし、よくよくみると、ネイビーブルーにホワイトのボーダーが入った袖なしのワンピースを着ていて、その上に羽織るようにジッパーのついたセーラー柄のジャケットを着ていたのだ。ジッパーが閉まっているので、それを開けない限りはワンピースとは気が付かない。

「ちょっと、ちえり?」

 すると、つぐみもちえりの違和感(いわかん)に気付いたのか、不意にちえりの頭の後ろを(のぞ)きこんだ。

「あんた…ランドセルは? なんで、手ぶらなの?」

 それだ――!!

 ちえりと、ちえりの通学班メンバーは、冒頭から抱いていた違和感の正体を、遂に突き止めることができた。ランドセルしょってねえや。

「あ、わすれてたー!」

 (はなぶさ)ちえりは満面の笑顔で、そう答えた。

 

ランドセルしょってねぇや。
ランドセルしょってねぇや。